鳥の詩
 
風花のように、炎に煽られた紙錢が舞う。
今は春で、風花など舞うはすもないのにと陸遜は末席からそんなことを思う。
孫策。この東呉の地を僅か六年の間に平定してしまった、若き孫家の総領の葬儀である。
この辺り一体の最高権力者といっても過言ではなかったであろう。
直接的な付き合いはなかったとはいえ、一応陸遜としても今後のことも踏まえ、様子見も兼ねて、陸家の代表としてでないわけにいかなかった。
果たして、これから孫家はどうなっていくのか幾分冷静に陸遜は周囲を観察する。
最も陸遜にとっては、一族の仇である男の葬儀であるわけだから、悲しみに浸れと言う方が無理かもしれない。
それでも、若すぎる人の死というのは、どういう事情があろうと、いつだって人の胸に必要以上の悲しみを沸き立たせる。
主の棺の側へと視線を移せば、美しく結い上げた髷もほつれ、袖で目頭をそっとおさえる若い女性の姿がある。
嫦娥も恥らうようなまさに大輪の牡丹の花のごとき麗人。
大きな黒目がちの瞳は、散々泣いたせいか、目の縁が赤い。しかし、泣き濡れた様さえも嫋々として哀れを誘いその様がかえって美しいとさえいえる。おそらく、孫策の正妻であった喬氏の姉娘であろう。
声をあげて泣いているのは、孫策の弟たち。
『兄上…。兄上』と棺に取り縋って泣いているのは、孫策のすぐ下の弟君か。
誰もが啜り泣き、或いは必死の思いで涙を堪えている中、葬儀をそっと見渡していた陸遜の目がふと留まった。
「あれは…?」
丁度、陸遜のいる場所からは顔がみえないのだが、すらりとした細身の姿からするとまだ若い男のようだ。
どうやら、この葬儀を取り仕切っているのはその若い男と思われた。
陸遜の見る限り、このような場でありながらとても落ち着いていて、そのことが彼を浮き上がらせているようだった。
事実、ひそひそと囁き交わす声が聞こえる。
「討逆様から、生前あれほど目をかけられていたというのに…」
「知らせがあったときにも、すぐには帰ろうとせずに軍を纏めてから呉に戻ってきたとか」
「義兄弟でもあったというのに、ああも平然としていられるとは」
義兄弟という言葉を聞いて、陸遜は葬儀を取り仕切る若い男の正体に気付いた。
では、彼が周瑜かと陸遜は改めて、その姿を見る。
楊州でも一、二を争う名家の出でありながら、幼馴染の孫策が二十歳で挙兵したときに駆けつけ、臣下の礼をとったという。
一時期、孫策の元を離れたこともあったが、二年前に戻ってきてからは再び孫策に付き従い、以来その的確な情報収集と分析を元にした献策もあって孫軍不敗といわれる所以の一片を担っている。
その彼がふいにこちら側を振り返る。
陸遜はその姿に息をのんだ。
美しいのだ。男に対して使う言葉として適当ではないのだろうが、そうとしか表現のしようがない。
細君であった、喬氏の娘とはまた違った、嫋々としたものを一片も感じさせない、背中に一本筋が通ったような凛とした風情の、例えて言うなら、喬氏の娘が春の麗らかな陽射しであるのなら、彼は深まった秋の冷涼たる夜空に浮かぶ月とでも表現したくなる、まったく対極にあるような美しさであった。
けれど、それ以上に陸遜の言葉を奪ったのは、切れ長の夜の色を映し出したような黒い瞳がどうしようもないほどの深い悲しみを湛えていたからだ。
視線が交わい、陸遜は息が苦しくなる。
涙一つその瞳は浮かべることはなかったけれど、凪いだ海のような瞳には哀惜という言葉では言い表せない、悲痛な色があった。
こんな悲しい瞳は知らない。陸遜は思う。
あまり見つめては不躾だと、頭の中の冷静な部分では思うのに捕らわれたように、瞳が離せない。
永遠にも似た時間を破ったのは周瑜だった。
傍らに立つ壮年の文官らしき男に何事が言われると、周瑜は少し驚いたように頷くと陸遜に向かって、微かな笑みを見せた。
それは、孫策に対して良い感情を持っていないであろう陸家のものがわざわざ足を運んだということに対する礼のつもりなのかもしれない。
しかし、陸遜は応えることができなかった。
「どうして…貴方は笑えるのですか?」
陸遜はあえぐように声を絞り出したが、生憎陸遜の声を聞くものはいない。
恐らく、周瑜をじっと見詰める陸遜に気づいた何者かがご丁寧にも周瑜に誰であるのかを教えたのだろうが、陸遜からすれば余計な世話である。
何故、彼をそっとしておいてやらないのか。
憤りにも似た感情が沸きあがる。
見えない傷口から血を流し、全てを押さえ込んで義弟という立場から取り乱すこともできず、葬儀全てを取り仕切る姿は見ていてとても痛々しい。
おこがましいと思いながらも、支えて差し上げたい、少しでも彼の悲しみが癒えるように側にいたいと思ってしまった。
恐らく彼は、この葬儀を仕切ったように、これから年若い総領を支え、東呉の地を守る為に奔走するのだろう。家の『名』さえも使って。
死してなお、周瑜を留めおくことができる孫策という人は果たしてどういう人であったのだろうか。陸遜はそこで初めて興味を覚え、そしてできることなら、話してみたかった。と出仕を理由をつけて断っていたことへの少しばかりの後悔を覚えた。
葬儀が終わったら、話をしに行こう呉の陸家が仕える事で、少しでも彼の人の細い肩にかかった重荷が軽くなるならばと陸遜は思うのだった。





 2013.6.15UP