誰が駒鳥殺したの 1


『先君、討逆将軍は弟君であらせられる考廉様に後を継がれるようにとのご遺言です。さすれば、悲しみは尽きねど、この上は一丸となり、新たなる主に忠勤をはげむのが先君に対する何よりの餞でございましょう』
凛とした声が響くと、悲嘆の嗚咽を堪える声も止まった。
水を打ったようにしんと静まり返り、声の主を見た。
「破虜将軍、討逆将軍の悲願を継ぐ、殿の覇道を、微力ながらこの周公瑾、全身全霊を持って、お使えする所存でございます」
そう言って、跪き頭を垂れる姿を太史慈は不思議な気持ちでみていた。
 
 
孫策の死から一月が経った。まだ一月というべきか、もう、というべきか。
孫策の遺言もあり、暫くの間は内を固めるということで、大きな戦はありそうにない。
根っからの武人である太史慈には細かいところはわからないが、元々、戦よりも内政に才をみせていた孫権である、未だ悲しみは癒えないようだが、今のところは大きな混乱もなく呉は束の間の静寂に包まれていた。
 
孫策を慕って集まってきた幕僚たちも、孫策の義兄弟であり、片腕とも頼んだ周瑜が真っ先に膝を折ったことで、各々思うところはあるものの、新たな主を支えていこうという気風が生まれている。
少しずつではあるが、確実に前へと歩みだしていく。孫策亡き後は孫権の代へと移りゆこうとしているのだ。
 
この日、調練を終えた太史慈は、兵舎へ戻る前に調練の報告をし、府の回廊を歩いていると、柱に手をつくようにして蹲っている人物がいることに気付く。
「どうされた、どこか気分でも?」
太史慈は近づき声をかける。
その声に顔をあげた人物を確認し、太史慈は驚く。
「公瑾殿!」
「子義殿か…」
周瑜は掠れた声で、太史慈を振り返ると柱に手をかけ立ち上がろうとするが、立ち眩みでも起こしたのか、僅かに身体が傾ぐ。
「公瑾殿、ご気分が優れないのなら、無理をなさいますな」
「いや、大事無い」
こんな周瑜をみるのは初めてだった。
よく見ると、酷く顔色が悪い。
この悪天候だ。彼の館まで帰るのは至難の業であろう。
「公瑾殿、今、公瑾殿に倒れられたら、間違いなく混乱が起きます。よろしければ、私の兵営がすぐそこです、そこで少し休んでください」
「…すまない」
「公瑾殿!?公瑾殿!!」
それが周瑜の限界だったのか、今度こそその細い身体は崩れ落ち、太史慈は慌てて受けとめたのだった。
 
 
 
長い睫毛を伏せ、瞳を閉じている姿は、時折聞こえる規則正しい呼吸音がなければ、生を疑うくらい、深い眠りに周瑜は陥っているようだった。
目の下には疲れきったように、濃い影が浮かび、白い面は蒼白といってもいいくらいの顔色で、医師の見立てによると脈が弱っている。つまり疲労が体の内へと溜まりこんでいるということだった。
無理もないことだと太史慈は思う。
孫策亡き後も、周瑜は軍の見回りだけでなく、内政の把握、若すぎる孫権を危ぶむ豪族たちの説得にと一体、いつ寝ているのかと噂される忙しさだったのだから。
だが、倒れたのはそれが原因ではないだろうと着替えさせた夜着から覗いた赤というよりはもっと強い執着を示す禍々しい色をした跡をみたときだった。
騒ぎが広がるのをおそれて、口の堅い家僕に一通りの着替え、湯の用意を申し付け後は太史慈自ら着替えさせ、臥牀に寝かせたのだ。
「………符」
微かな声に自らの思考に陥っていた太史慈ははっと顔をあげる。何かを探すように伸ばされた手。
「公瑾殿?」
力なく伸ばされたその白い手を取っていいものかと逡巡していると、その手は絶望したかのようにばたりと夜具の上に落とされる。
太史慈はその様に胸をつかれ、思わず落とされた掌を握り締める。
すると、周瑜の長い睫がふるふると揺れ黒曜石のような瞳が現れる。
「……ここは?」
「私の兵営です。府にてお倒れになられたのです。覚えていらっしゃいますか?」
未だ視点の定まらぬ、ぼうっとした瞳を太史慈は向けられ、周瑜が目覚めたことに安心すると共に、何やら妖しげな気分になってくる。
「そうか…迷惑をかけたようだ。このことは他に誰が?」
「ご安心を。この室には誰もこないよう申し付けてあります」
漸く定まった周瑜の視線が、己の顔から移動し、じっと注がれている先を見て、太史慈ははっとなり、慌てて手を離す。
「あ、その…これは、脈、そう脈をみていたのであります!」
苦しい言い訳だと思ったが、それしか思いつかなかったので仕方がない。
「…着替えさせたのは私ですので」
「ああ…」
周瑜は口籠る太史慈の謂わんとしていることを理解し、嘆息する。
「見苦しいものをみせた」
「いえ、見苦しいなどとは些かも思いません!医師も公瑾殿の御体まではみていません。手を取られ、脈が弱っておられると…」
本当に見苦しいなどとは思っていないのだということを伝えたくて、必死に言い募ると周瑜は小さく微笑んだ。紅い唇に浮かんだ笑みに年甲斐もなく、胸の鼓動が跳ね上がる。
着替えさせ、湯を使って彼の身体を清めたときにみた痛ましくも、劣情を催される白い肌をみてしまったからだろうか。
覚えたての子供でもあるまいしと慌てて不埒な思いを振り切り、太史慈は一際難しい顔をしてみせる。
「あの、それで内密に調べさせたところ、あやしい奴らは見つからなかったという話で…その…公瑾殿が最後に足を運ばれたのは…」
「殿もご苦労が多いのだろう」
周瑜の言葉にはっと顔をあげる。
やはり、周瑜にこのような無体を働いたのは孫権だったのだ。
孫権の周瑜への傾倒ぶりは傍でみていて薄々気がついていたが、孫策を亡くしたことで箍が外れたのか。
「は、あの…何と言っていいか解りませんが、いくら弟君…いや、殿とはいえ、このような無体な振る舞いは…!」
「言うな。私が不興を買うような真似をしたのが悪いのだから」
「はっ…!」
「殿はまだ十九であられる。十九でこの国を背負っていかねばならないのだ。我々がお力になれずどうする」
取るに足らないことで騒ぐなと周瑜に窘められ、太史慈は背を伸ばす。
周瑜は紛れもなく一国を支える臣なのだとその言葉に実感する。
だが、個としての周瑜はやりきれなさをどこに持っていけばいいのだろう。
そんなことをふと思い迷った末に口を開く。


         





2 TOP 小説TOP